プロローグ

写真生誕200年へ向けて編集写真とは何か?その本質は端的に証拠にあります。撮影とは、個人が”原“というイメージに基づき、目の前の事象を、原体験、原風景という具合に、種別に記録する行為にあります。全て営みの中核には、”原”が見据えられ、その事象に全ての彩りを織り込んでいるのです。 撮影は、タッチトレーニングを経た主体者の、鋭敏な感性を通して、対峙する事象を、”見た目に自然さ”という価値に変換する、そう、つまり写真に意味を定着させるスキルにあります。 入力、チェック、出力という一連の作業は、主体者のセンサー、タッチ、メモリーなる手元の技に置き換えられ、識者が情報の”ある意味での転記”を、価値ある”意識の変換”に昇華させるところに、写真表現の特異性が宿っています。 何処でなければ、誰のでなければ、誰でなければって、そう!、同じ中身で同じ意味を巡っての、精神的な葛藤。正に唯一無二、オリジナルとしての出力は、まな板の鯉という、晒しと透かしを通して育まれる、誠というべき、写真の堅牢性にあります。 対峙することへの”こだわり”とは、情報の取捨選択を、主体者という”味付け”を通して、写真が、正に”最初の一杯”であることの意味を宣言し、そうすることで、同じ空気を吸った間柄という、その場の共感と信用を、世間にお披露目することに、存在という使命の意義があるのです。 つまり、写真とは事象の鏡であり、また文書の鑑でもあります。写真(動画)は一つの意味体系における、等倍、等身大の関係に、イメージという思考の幅を与えてくれる、…

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写真生誕200年に向けて

写真とは何か?その本質は端的に証拠にあります。撮影とは、個人が”原“というイメージに基づき、目の前の事象を、原体験、原風景という具合に、種別に記録する行為にあります。全て営みの中核には、”原”が見据えられ、その事象に全ての彩りを織り込んでいるのです。撮影は、タッチトレーニングを経た主体者の、鋭敏な感性を通して、対峙する事象を、”見た目に自然さ”という価値に変換する、そう、つまり写真に意味を定着させるスキルにあります。 入力、チェック、出力という一連の作業は、主体者のセンサー、タッチ、メモリーなる手元の技に置き換えられ、識者が情報の”ある意味での転記”を、価値ある”意識の変換”に昇華させるところに、写真表現の特異性が宿っています。 何処でなければ、誰のでなければ、誰でなければって、そう!、同じ中身で同じ意味を巡っての、精神的な葛藤。正に唯一無二、オリジナルとしての出力は、まな板の鯉という、晒しと透かしを通して育まれる、誠というべき、写真の堅牢性にあります。 対峙することへの”こだわり”とは、情報の取捨選択を、主体者という”味付け”を通して、写真が、正に”最初の一杯”であることの意味を宣言し、そうすることで、同じ空気を吸った間柄という、その場の共感と信用を、世間にお披露目することに、存在という使命の意義があるのです。 つまり、写真とは事象の鏡であり、また文書の鑑でもあります。写真(動画)は一つの意味体系における、等倍、等身大の関係に、イメージという思考の幅を与えてくれる、意識の道具でもあるからです。そ…

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写真の184年

写真の184年 編集 人生の主戦場、それは主体者が眼差しで描く、ギブ&ギブの精神を母体とし、更に成功者の条件である、セルフメイドを醸し出す、皆が平等である事の証、協働という名の虹の架け橋であります。 勝利は常に前精算。個々の成長を刻む唯一の杜、Wikipedia。成功哲学の原資、正にここに有りです。 《写真の184年〔2023年)》 祝・ご成婚30周年写真展 天皇陛下と雅子さまの30年 −よりそう想い− 日本橋三越本店 本館7階 催物会場 2023年1月25日(水)〜1月30日(月) キヤノンギャラリー50周年 2023年2月 ※1973年2月に「キヤノンサロン」を銀座に開設。 株式会社リコー、「三愛ドリームセンター」の建て替えを発表。 2023年2月1日(水) ※竣工から60年が経過し、建物の老朽化が進んでいるため、解体工事期間は2023年3月から約2年間。新しいビルは2027年の竣工を目指す。 特別展「暗い箱からデジタルまで 一眼レフカメラ展」 日本カメラ博物館 2023年2月7日(火)から6月18日(日) 企画展:AI NIKKORの魅力~ニコン社員による写真展~ ニコンミュージアム 2023年3月1日(水)~9月2日(土) 土門拳の古寺巡礼 東京都写真美術館 2023年3月18日(土)〜5月14日(日) ※1963年、古寺巡礼の第一集が刊行。 「帝国ホテルの記憶 ~IMPERIAL Legacy~…

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写真の183年

写真の183年 編集  聞く、話す、読む、書く。そして心の眼。人間唯一の宝、それが言葉であります。無形の響き、公共の時間を無償の交響楽へ昇華させる赤い糸、それは社会発展への秘めた熱き想い、個々に委ねられた連帯感への質に寄り添っているのです。  入念な先制攻撃、写真は、過去の教訓を踏まえつつ、これから起こりうる様々なハードルに対して、挑戦者を支援する哲学として、また予防法務の一翼を担いつつ、旋回の手法を視野に入れながら、国民経済の成長を見守る、一個の優しい眼差しでもあります。  根のある話、それは決して曲げることの出来ない、人間が生きている限り貫く、大切な部分の事であり、生涯現役の意味を恩師に宣誓しつつ、また、同時に世間に知らしめる、決意の供述調書でもあるのです。  旅は心の洗濯。国民には旅をする権利がある。福祉観光、国際観光と、事業の両輪は異業種ではありますが、複眼思考で何事も円満、そして円滑に、お互いの立ち位置を尊重しつつ、軸足を決めて観光立国、その大いなる仕事に臨んで参りましょう。  DO IT NOW!思いついたら即実行!そして即時対応!信念は常に思考し続ける者の、時の物差しでもあります。  全ては人命第一!何事も前例の無い事は善処、その譲れない一線とは、混迷する世の中をスラム化させない、一社会人としての良識、連帯感の質に委ねられているのです。  掛けられるチェック、掛けれぬチェックとは、映像機器が、どんなに進化しても、最終、人の目による判断であること…

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写真の182年

写真の182年 編集  今年は東日本大震災から、丁度10年という、表現者が自らの定見、その意義を正すべく、価値有る節目の年であります。  まぁ、それはさておき。この4月は、かつて存在した東京厚生年金会館、開設60周年の節目に当たります。日本の福祉施設における第一号館、そして、私も育てて頂いた、その一人。バリアフリー、ノーマライゼーションは世界の福祉、その合言葉。史実の中核は常に慈愛であり、信念は志しを育む者の、力有る杖でもあります。  コロナ元年、2020年(令和2年)は、個々の入念な衛生管理の視点に基づき、これまでの生活様式をリセットしつつも、新たなる意識の高さ、そう、洗練された対他認識を創出しようとする、正に人生の修羅場、その挑戦の年でもありました。  一般的に外出や外食など、お出掛けの多くは、良き家族奉仕の気持ちの現れと考えます。 ほんの少し、よそ行きに! おもてなしとは、この辺りのことでしょうか?接客業の方々のみならず、伺う側も出先にあっては、思いやりの笑顔で、楽しい一時を共に過ごしたいものです。  持ち込まない、付けない、増やさない、そして、やっつける! 感染症の問題のみならず、トラブルへの対処としては、一社会人の心得として当然至極であります。出先に於いては、決して我見に陥ることなく、与えられた決め事は守り、その場における正しい作法と動作を身に着けることが、いの一番のエチケットだからです。  自分で辞めない、クビにならない、病気にならない、そして死ぬまで…

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写真の181年

写真の181年 編集  今年は肖像写真家、吉川富三先生の生誕120周年記念の大佳節。全くもって嬉しい限り、そして大感激です。私にとっては、東京厚生年金会館の写真室でお世話になりました、時の大先輩であり、写真史を舞台に寿を彩る、尊敬すべき一筋の眼差しでもあります。  写真の大切なテーマの一つに、人間性の追求があります。例えば「その場に居合わせたら、あなたならどうする?」といった、時に写真は完結した作家のメッセージであり、ワンフレーズ、ワンクローズという表現を通して、見る側にある種の連帯感を使役する、思考の道具であるからなのです。「何かの時には手を貸して貰えないか?」といった、バイスタンダーを協力者に加えてしまうような話の機転、それが写真のメッセージであり、老弱男女、お茶の間を通して語り合える話題こそが、写真の全てであります。作家の常日頃、その言動によって育まれる、王道たる品位。正に、このことが連帯感の証明であり、その年輪、尊い歴史の源に人間性を追求した、作家先生皆様方の輝く命を、垣間見ることが出来るのです。  また、写真は覚醒の装置でもあります。見る側の感性に揺さぶりをかけ、何かを呼び覚ます、追憶の武器でもあるのです。忘れかけていたこと、やりかけていて、未だ終えていないことなど、相手側の見通しを推し量りつつ、隣人としての一助、それが写真というメッセージであるかも知れません。 《写真の181年〔2020年)》 「日本の美を追い求めた写真家・岩宮武二 京のいろとかたち」 …

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写真の180年

写真の180年 編集 問題提起能力としての写真。それは、正しい歴史観を内包しつつ、「何故?」「何故ならば、‥」といった、一見、自問自答を続けてゆく、思考の修羅場を吟味しつつ、写真の持つ特異性、その韻をより良く踏まえようとすることで、初めて具現化する、平和の架け橋であります。 《写真180年(2019年)》 今年は、写真の180年ということで、…… それは今から30年前の、写真150年を起点とする平成史、その先駆的、写真揺籃期を踏まえた上での、新たな年でもあります。 『写真を通して社会を知る』という物差しは、良き社会人であることを軸足に、写真の機能を存分に発揮させ、公共の時間を、より良く充実させるところに、その存在と使命があります。写真の価値を更に生み出し続ける、一個の眼差しとして。 そう!『写真の見方』とは、正に公器!ですよね。 そして、『写真生誕200年へ向けて』の道のりは、今、始まったばかりです。 特別展「フィルムカメラ展」 会場:日本カメラ博物館 会期:10月30日(火)~2019年3月10日(日) ※銀塩写真180年を見直す 写真の起源 英国 会場:東京都写真美術館 会期:3月5日(火)〜5月6日(月) 天皇、皇后両陛下の成婚60年を記念した特別展 「国民とともに歩まれた平成の30年」 会場:日本橋高島屋S.C.本館8階ホール 会期:4月3日(水)~21日(日) 「平成のカメラ展」 会場:日本カメラ博物館(館長 森山眞弓) …

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写真160年から170年

写真の170年  編集 《写真170年(2009年)》 FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア) 2007年 開館 [物故者] 渡辺 義雄 1907年4月21日〜2000年7月21日 秋山 庄太郎 1920年6月8日〜2003年1月16日 レニー・リーフェンシュタール 1902年8月22日〜2003年9月8日 ヘルムート・ニュートン 1920年10月31日〜2004年1月23日 アンリ・カルティエ=ブレッソン 1908年8月22日〜2004年8月3日 リチャード・アヴェドン 1923年5月15日〜2004年10月1日 吉岡 専造 1916年12月15日〜2005年5月2日 コーネル・キャパ 1918年4月14日〜2008年5月23日 アーヴィング・ペン 1917年6月16日〜2009年10月7日 写真の160年  編集 《写真160年(1999年)》 表現としての写真150年の歴史 : タルボット「自然の鉛筆」から1980年代まで セゾン美術館, 山岸享子編 展覧会カタログ 会期・会場: 1990年3月3日-4月1日:セゾン美術館 主催: セゾン美術館, 朝日新聞社, 富士写真フィルム 日本写真芸術学会 1991年3月30日 設立総会(東京麹町・東条会館) 東京都写真美術館総合開館 (恵比寿ガーデンプレイス内) 1995年1月21日 林忠彦×…

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写真100年から150年

写真の150年  編集 《参考》写真150年(1989年) 写真表現の150年 伊藤俊治 NHK市民大学1989年7-9月期 ※NHK教育テレビで放送された生涯学習番組 [文献] NHK市民大学 写真表現の150年 ファインダーは何をとらえてきたのか 1989年7月-9月期 日本放送出版協会 日本カメラ博物館 開館 1989年11月29日 [文献] 「写真150年・その光と影展」 日本大学芸術学部写真学科・東京工芸大学短期大学部コレクション展収蔵作品目録 c1989 写真150年展「渡来から今日まで」 著者名 [写真150年展実行委員会編] 出版 コニカプラザ 1989/8 カラ-ネガフィルムを見つめて30年 (写真150年の展望) 石井 鐵太 日本写真学会誌 52(6), 603-607, 1989 写真処理からみた写真の150年 (写真150年の展望) 笹井 明 日本写真学会誌 52(6), p582-594, 1989-12 写真術の発達と表現の変遷 (写真150年の展望) 澤本 徳美 日本写真学会誌 52(6), p572-581, 1989-12 <物故者> アンセル・アダムス Ansel Easton Adams II 1902年2月20日 - 1984年4月22日 アメリカの写真家 享年83歳 写真の140年  編集 《参考》写真140年(1979年) …

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写真論11章

写真論11章 編集 第1章 [写真を通して複眼思考を] 1節 < はじめに>  私は、自分史における写真の位置づけを、常に考え続けたいと思っております。それは、ある意味で、ライフスタイルでありライフサイクルだからです。人生の目標には、様々なものがあります。人間完成、生涯学習、資産形成等、写真はその過程において、知的財産としての意味と価値を高めてゆきます。自分史をリフレッシュさせる一助としての写真に、私の興味は生涯尽きることがありません。 2節 <ライフスタイル>   知的財産として、写真に求められるものに、ライフスタイルがあります。これは、心の内なるものを外向きに発信してゆく行為であり、社会規範や思想、信条とは他の、精神的世界の表現の場でもあります。ライフワークとは、写真の行為を手段として、個人の目的のみならず、むしろ第三者に対する貢献への手段、そして、道具として活用した時に、その価値と存在をアピールできる、未知なる可能性を秘めた、人生の手段であると考えます。志ある人のライフスタイルは、自分史に光を投げかける花束であると、私は信じております。 3節 <感性と個性>  知的財産にかかる写真の差異とは、ライフスタイルの質の差ですが、個人の趣味から業務の一手段へと幅の広い世界を吟味した上で、個人の表現の質の差を写真に見ることになります。 自分史における写真とは、アマチュアとしての感性と個性を写真という媒体に焼き付けることですが、時に業務の世界との対…

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自転車論12章

自転車論12章  編集 <プロローグ>  日常、素にもどる時、誰にでもありますよね。“一息ついて!”って意味です。そりゃ、もう! 実は、私のそれは自転車なのです。言葉は文化の乗り物、その例え話なのかも知れませんが。ホッと一息、そして全てはバッチグー!私の自転車総論、”生涯自転車の心得12章”を、ささやかながらに披露いたします。Love and peace!...♡♡♡ 第1章<アンクリング>  自称、サイクリストとはいっても、ママチャリですが。普段は変速機無しという世界。でも、それって、中々、有意義ですよね。だって、工夫が生まれるから。何を工夫したか。それが、売りだから。そりゃ、もう! 機材は、自分のイメージよりも、一段階位、抑え目の方が良い。というのが、私の持論です。一番、怖いのは、イメージ負けすること。そこからは、先へ行かないからです。良い物には、素晴らしさが宿ることも、否めませんが。だからといって、ぼろい機材を使えって、訳でもありません。でも、大事なことって、・・・これでもか、これでもかって、工夫すること。そして、熱意! まず、やってみること! ですよね。 第2章<素手と感性>  “3ルを忘れるな!”という、このフレーズ。誰の著作なのかは分かりませんが、ペダルのル。サドルのル。そして、ハンドルのル。合せて、3ル。ですよね。そう、そう、そう、・・・この3つに対応する、何を意識するかが焦点に、・・・ 解答は、ペダル ⇒ シューズ、サドル ⇒ パンツ、ハンドル ⇒…

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